金谷 治 著
年齢を重ねるに比例して老子に興味がでてきた。あるがままに生きることが一つの理想であることは年齢にはかかわらず多くの人の思うところかもしれない。
赤ん坊のときはあるがままに生きていたのだろう。物心がつくようになり、色々と学び始めるとあるがままではいられなくなる。良い面もあるしそうでない面もある。ただ、あるがままではなくなる。
社会生活の中では、あるがままというわけにはいかないことが多かった。しかし、第一線を退いた今であれば、あるがままに生きることができるのではないかと密かに思う。勿論、社会生活を全うする中でもあるがままに生きた方もおられるとは思いますが、私にはできなかった。
もしコーチングをもっと早く学んでいれば、もう少しあるがままに生きたかもとしれないと思うこともあるが 、それはどうにかなるものではない。したがって、”今”にコーチングを活かしていくだけで良しとしよう。
第一部 老荘思想とは
1.老荘と儒教
表の儒、裏の老荘→現実的な人間の生活が最も重要な中心問題→あるがままの裸の人間を考える→人間だけ孤立していない、万物の中に人間を置いて考える→自然意識(natural)
2.老荘思想と現代社会の関わり
無為自然→別次元の知恵→柔弱謙下→とらわれのない自由なのびのびとした心になることが必要→人間だけが先を争って前へ前へと進むばかりで良いはずはない
道は仮の名で万物の根源→絶対への帰依→一個の私的な己は消える→荘子は因循
第二部 老子を読む
1.老聃(ろうたん)と老子
いづくにか帰る日近き心地してこの世のもののなつかしきころ
2.道の思想
具体的にこれが道と指し示すことのできるような道は一定不変の絶対的な正しい真実の道ではない→欲があると現象として表れているところだけしか見えない
万物は出て、また元のところへ戻る
自然=自ずから然る(それ自身でそうなる 自己原因的にそうなる それ自体においてそうである)
3.処世の思想
有るということがあってこそ無いということがでてくる→現象世界にあるいろいろな差別の姿というものは、すべて相対的であって、決して一つのものに執着すべきものではない
知恵や感情をすてて、無為に行動する→内に向かって自らを知ることが真の「知」→足るを知り、ありがたい人生だと満足する<道を志す
世の中における自分のあり方を間違えない=其の所
真実のものを見抜くとは、外からたくさんの知恵を集めることではなく、本当は何が大事かということを見極め選び分けていく力を持つこと
孤高というのは寂しいもの
4.政治の思想
無為の政治によって人民を無知無欲にする→無為の政治ならば万事が治まる→聖人は終に大を為さず
第三部 荘子を読む
1.荘周と荘子
権力者に拘束されるのを嫌う
物化=万物流転の思想→変化しては移ろいゆくものを貫いて変わらない自然必然的な理法
2.逍遥游
わが身を棄てて絶対的なものによりしたがう
自然思想→無用なところに実は有用な真実がある
他人の言動に惑わされない→役に立たなくても少しも心配はない→無用の用たるや亦た明らかなり
3.斉物論 黙然と座って万物を忘れる→現象世界の奥でひびくもの→一段高い中心に身をおいて、あるがままに対応する